集落センターにて神河町教育委員会の方が受付です。

教育長さん、京都府大の菱田教授、井上助教授?から古墳についてのお話がありました

井上さんは隣の柏尾区の出身とのことであり親近感がありました。

まずは本日の資料をちょっと目を通して頂ければ
高畑通古墳群は桜の山、桜華園の入口から少し入った所にある笠森神社の裏からその周辺にあり、場所をそこに移して説明会の始まりです。
まずは高畑通古墳群の看板を・・・

笠森稲荷神社の裏にある1号墳

その北側の2号墳

生徒さん達の説明が始まりました。
高畑通古墳は1400年前古墳時代後期、聖徳太子が活躍されていた当時に作られたもので、この時代からこの地域は栄えていたとの事でした。
東柏尾区は市川の流域にあり昔から重要な位置であったと言われています、大嶽山の柏尾城も播磨と但馬の境の要所として赤松氏が建立した事、又、我区の上組の事を市場とよんでいますが、その昔この地域に沢山の人や物が集まり市場として発展したもので、豊臣秀吉がこの市場を支配する為に立て札を立てたことで重要な場所で会ったことを示しているそうです。

次は石室の説明です、横穴式石室がこれほど綺麗に残っているのは希少価値があるそうです。

真剣に聞いています。

裏手に廻っての説明です
ここでは古墳の形や大きさを測る測量調査の意義等を説明されました。

我区の歴史をしっかり頭に入れました。

横穴式石室の入口

石室の内部はこんな感じです、幼少の頃にはこの穴に入って良く遊んだものです。

その後各人古墳を探索
2号墳

2号墳から見た1号墳

女子学生から話を聞く女性区民

菱田教授とお話する男性区民

約1時間強の説明会が終わり神社を後にする参加者の皆さんです

故郷・東柏尾区の歴史を学ぶ機会はめったにありません、教育委員会の皆様、古墳群を調査し我々に色々教えて頂いた京都府大の菱田教条をはじ学生の皆様に感謝した1日になりました。
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